人間から見た観点
地球から見た観点
宇宙から見た観点
それぞれの観点があるわけですが
人間であるから、人間的観点で全ての出来事を捉えていていいのでしょうか
もしも、私たち人間が私たち人間を創造し、創り出したとすれば
人間が中心とした、この全ての世界があると考えてもいいはずです。
しかしながら、私たち人間は私たち人間が創ったわけではないと、誰でもわかる事とおもいます。
では誰が人間を創ったのかという疑問に陥るわけですが
それを知らずして生きている以上、人間が人間的観点で生きる事は仕方のない事でもあるわけです。
本来であれば、人間は、なぜ己が存在し、己が生きていく上での目的を知り成長していかなければなりませんでした。
しかし、現代において、未だその領域に到達した人間は限られています。
そしてそれがゴールなのでわなく、実はスタートだという事を知る人は、さらに少ない状況です。
地震、温暖化、異常気象、あらゆる自然災害を人間は人間的観点で捉え、それを悪いものであると判断しています。
連日連夜ニュースで流れる、こういった自然災害は実際のところ、地球の観点、宇宙の観点からすれば、ある目的を達成するための道のりでしかありません。
その事に気がついている人は大変少ない状況です。
偉そうな事を言っているように思うかもしれませんが、なにも偉そうにしているわけでもなく
ただ、素直に本流の話をしているだけなのです。
本流とは何か、本流とは宇宙の始まりがなぜ始まったのか、そしてその始まりはどこに向かっていて、どのような目的を持っているのかという事を知っているか知らないかだけなのです。
知ってしまえば、とてもシンプルな事です。
しかし、人間は知るという事は出来たとしても、その事実を心が納得する事は大変難しい事なのです。
現代の教育一つとっても分かる様に、今の人間の知性感は「暗記力」です。
事実上、暗記力がある人間がすごい人間という事になります。
知性がいくらあっても、心が空っぽでは人間として本来の成長にはつながっていません。
人間には知性の先にさらなるステージが用意されています、それが「情」です。
この情という心の部分に知性からくる情報が届かなければ、本来の知る事の目的達成には至らないのです。
ですから、まずは知る事が第一条件であって、次にそれを心から理解する作業が必要になります。
知なるものを鵜呑みにするのではなく、それを心から納得させる作業が必要なのです。
そして、それを実現させるために、行動する事が最終的な完結目標になります。
実際には人間はこのプロセスを自然に行っています、しかしそれが重要な流れであると気がついていないわけです。
ですから、まずは人間の本性を理解して、真実なる情報を知り、それを心から納得し、最後に実現するために行動するという事を習慣づける事が重要なのです。
そういった事が身につくと、北極の氷が溶け出して困るという様な観点は存在しなくなります。
全ては目的のために進んでいると理解しているからです。
理解とは私たちがなぜここに生きているのかを知る事で初めて、本当の理解になるのです。