金の切れ目は意識の高まりの時

私達の生活に重要不可欠なものとして筆頭に上げられるもの

それは「金」であっるわけですが

この金に対しての見方を大きく変えていかなければならない時期に差し掛かっています
今までの世界は資本主義というレールを突き進んできました

しかし、その結果は散々なものになりました。
ギリシャはまず私達が目で見る上で一番始めにそのシステムが崩壊する様としての象徴になる可能性をはらんでいます。
経済というものは、一体なんであるかという事を私達人類は見る事になるわけです。

経済に頼り切ってきた私達はこれからどの様に生きていくかについて考える時期に入りました。
入っている事に気が付いていない人も沢山います、いや、ほとんどの人がそうです。
ですから、このブログを見ている人達は分かっている人、知っている人、今知った人達です。

これから想定される世界の動きには第三次世界大戦というイベントがあります。
これはイベントです、イベントに過ぎません、つまり、これは劇団地球という舞台の様なものなのです。
私達はその劇団を盛り上げる観客であり、宣伝マンでもあるという事になるのです。
こうして、私が第三次世界大戦の事を記事にする事自体が問題でもあります。

助長させ、その事に加担する好意ととっても問題ない様なものです。
しかし、物事の取り方考え方というものは一方方向ではないという事も事実です、ですから、こういった情報を知るという事は、新しい感情を芽生えさせ、さらに意識を高めるという潤滑油になるという事でもあります。

これからの生き方として、情報を鵜呑みにしないという見方が大変必要になってきます。
情報の見方、この方法を知らずに、自分にやってくる情報を自分の観点のみで判断する事の問題性に気が付かなければなりません、その問題性とはなんであるかを理解していかなければなりません。

今まで、すべてカテゴライズされてきた事が、すべて一つの事だったとしたら…
一つのカテゴリの見方からの解決というものは、一つのまたは二つくらいのものの解決方法であって、全ての解決策ではないということです。つまり、私達が分類分けしてきた事、またはされてきた事というのは
本来全て一つだったという事にいち早く気が付く事が、こういった世界的問題の見方、身の回りの問題の見方に繋がります。

簡単に言えば、本当に簡単に言います。
国は元々は一つだった人間を選り分けた結果だという事、言葉もまたその象徴です。
はじまりは、極数人からはじまり、その反映が今の人間社会でいう、国という集合になっただけだと言う事に誰もが立ち変える時にあるという事なのです。

この振り返る考えが、最終的に人類の方向性は、はじまりにあるという事に気が付く様になります。
我々人間の元々とはなんであるか、なぜ生まれた?なぜ人間がいる?などいの一番で考えなければならない事を、多くの人が忘れています、というよりも、忘れさせられている、考えない様にされているという言葉が正しいでしょう。

その考える事が出来ない様にされている原因の最も中心にあるのが「金」であるのです。
ですから、私達人類は今、大変な時期にいると同時に最大級のチャンスの時にいるという事なのです。